【波照間島編 第2話】日本一美しいのでは!?と思える波照間島のビーチ。シュノーケリングで二度目の海ガメ遭遇!
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沖縄には数え切れない程の離島が存在し、沖縄旅行者にも人気ですが、その中でも屈指の美しさを誇るのが波照間島。
有人島、日本最南端の島、波照間島へは石垣島から高速船で70分。
外洋にある島なので、海が荒れやすく、少し波が高いと船が欠航となってしまいます。
毎年毎年、宿や飛行機を予約していましたが、台風や高波で毎度キャンセルに、、。
4年目のチャレンジでようやく波照間島へ行く事が叶いました。
<波照間島について>
緯度が低く、日本国内で南十字星を好条件で観測できる数少ない島です。島の南には、
観測台も設けられています。(夜行く時は、側溝に落ちない様に注意)
波照間島のさらに南に「南波照間島」(パイパティローマ)があるという伝説もあります。
重税から逃れるため、その昔、島人が南波照間島に渡ったという伝聞が琉球王府の記録である『八重山島年来記』に記されています。
波照間島にはサキシマハブなどのハブ類は生息していません。
<波照間島の歴史>
波照間島は古くは朝鮮などから『ハティローマ』と呼ばれていました。
最南端という最果てでありながらも、八重山でもかなり古い遺跡が見つかっており、戦いや争いの伝説も多く、早くから文化が開けていたと思われます。
琉球王府に統治されてからは波照間島も他の八重山の島々とと同じような歴史をたどります。
人頭税に苦しめられ、寄人政策で多くの人が西表島や石垣島に移住させられました。
そうして、太平洋戦争の時には、戦争マラリアという悲しい悲劇がありました。
<波照間島の特産物>
島の約半分がさとうきび畑という波照間島。昔ながらの家並とサトウキビ畑が広がります。
波照間島では1914年に甘蔗栽培が始まり、小さな精糖小屋で牛を動力に続けられ、1961年に大東糖業と島民の共同出資で製糖会社が設立されました。
1963年に一日100tの黒糖を生産できる精糖工場が完成し、操業を開始。
また、波照間島ではモチキビの栽培にも取り組み、30戸を超える農家が安定生産しています。
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